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如来(悟り済)
仏で一番偉い種類で、悟りを開いた者。出家後の釈迦がモデル。阿弥陀如来、薬師如来など。 |
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菩薩(修行中) 悟りを開ける地位ではあるが、衆性救うため、あえて一段位を下げている仏。出家前の王子時代の釈迦がモデル。観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩(お地蔵様)など。 |
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明王(民衆を守る)
修行する者を煩悩から守る如来の使者の仏。恐ろしい外貌と激しい忿怒の相をしている。不動明王など。 ※真言宗にだけ登場 |
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天部(仏界を守る)
仏界を守る神々。四天王、阿修羅など。
※元ヒンズー教の神々 |
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勢至菩薩
せいしぼさつ / 午の本尊
干支:午年
読み:せいしぼさつ
梵名:マーハースターマプラープタ
真言:オン サンザンザンサク ソウカ |
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正式名を「大勢至菩薩」といいます。
梵名の「マーハースターマプラープタ」は、「偉大な威力を獲得した者」という意味で、その名の通り、非常に怪力で、足を踏みおろすだけで、大地を揺るがすことのできる力強い仏として描かれています。このことから、大勢至(偉大な勢力)菩薩と漢訳されたのです。
また、浄土三部経のひとつである「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」には、「偉大なる知恵の力をもって、一切を照らし、衆生を救済する」と書かれています。また、菩提心(悟りを求める心)を発起させる仏でもあります。
勢至菩薩像は、単体での造形例は非常に少ないですが、観音菩薩とともに阿弥陀三尊像の脇侍をつとめることで知られます。
阿弥陀三尊像において、観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲をあらわし、勢至菩薩は知恵をあらわすとされます。
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昔から人々は、仏像を拝することで心の安らぎを得てきました。
実際仏像は動かず、何も変らないはずなのに見ている人間のその時の心の状態に応じて、色々な顔に見えてきます。まるで、仏像は自分を映す鏡のようです。
その威厳に満ちた姿に触れることで、救いを得たいという願望が『心はかたちを求め かたちは心をすすめる』というように、多くの仏像を生み出しと言われています。
今から約2500年前、北インドのシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタによって説かれました。 彼は29歳で出家し、厳しい修行を経て、35歳で悟りを開き、仏陀(ぶっだ)となります。
日本や中国では、仏陀のことを釈尊(しゃくそん)、釈迦(しゃか)、釈迦牟尼(ちゃかむに)、などと呼ばれています。仏像とはこの釈尊を表した像のことをいいます。
しかし釈尊の存命中に仏像が造られることはありませんでした。釈尊がインドで没したのは、紀元前4世紀半ばというのが通説ですが、仏像はその死後すぐに造られたのではなく、その誕生は遥か先の紀元前1世紀半ば頃とされています。
人々の心に釈尊追慕の念が深まっていたことが、釈尊の理念化や超人化を進め、その存在を、仏像として表現するきっかけとなったのではないかという説があります。
仏像生誕の地は、ガンダーラ地方(現パキスタン北部)でした。同じ頃、マトゥラー(インド北部)でも仏像が造りはじめられました。前者はヘレニズムとローマ、インド文化の影響のもと均整のとれた美しいプロポーション、後者はインド彫刻の伝統のもとに明るくおおらかな、まったく異なった様式の釈尊像が仏像として刻み込まれました。
この2カ所で成立した2派の仏像様式は、以後微妙に融合したり洗練の度を高めたり、その表現に深みを加えていき、4〜5 世紀頃にインドの大部分を統治したグプタ朝の仏像とともに、各国に伝わり展開していく仏像様式の祖型となりました。 仏像が誕生してから、堰を切ったように造像が行われるようになります。
釈迦像のほか菩薩などの諸尊も造られるようになり、仏教に仏像という偶像を崇拝することが定着していきました。
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