開運・厄除け あなたの守護仏を十二支から導きます 〜 阿弥陀如来 〜

千手観音菩薩
虚空蔵菩薩
文殊菩薩
普賢菩薩
勢至菩薩
大日如来
不動明王
阿弥陀如来
価値有り一点もの高額仏像

如来(悟り済)
仏で一番偉い種類で、悟りを開いた者。出家後の釈迦がモデル。阿弥陀如来、薬師如来など。
菩薩(修行中)
悟りを開ける地位ではあるが、衆性救うため、あえて一段位を下げている仏。出家前の王子時代の釈迦がモデル。観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩(お地蔵様)など。
明王(民衆を守る)
修行する者を煩悩から守る如来の使者の仏。恐ろしい外貌と激しい忿怒の相をしている。不動明王など。
※真言宗にだけ登場
天部(仏界を守る)
仏界を守る神々。四天王、阿修羅など。
※元ヒンズー教の神々
トップ > 阿弥陀如来

阿弥陀如来 
あみだにょらい / 戌・亥の本尊

干支:戌・亥年
読み:あみだにょらい
梵名:アミターバ または アミターユス
真言:オン アミリタ テイゼイカラ ウン

阿弥陀如来は「無量寿如来」または「無量光如来」との別名で呼ばれることがあり、「無限の寿命をもつもの」、「無限の光をもつもの」を表される。

阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主であり、その光は現世をあまねく照らすとされます。この阿弥陀如来信仰をテーマにするのが有名な、「浄土三部経」−「無量寿経」・「観無量寿経」・「阿弥陀経」です。

無量寿経には、阿弥陀如来がすべての衆生を救済するために48の願い、すなわち「四十八願」を立てたことが書かれています。この四十八願の第十八願が「本願」または「王本願」と呼ばれているもので、「念仏を行う衆生を救い、極楽浄土に往生させる」と説かれています。

この阿弥陀如来の「本願」にすがることから生まれた言葉が「他力本願」です。そもそも他力とは、阿弥陀如来の力を指す言葉だったわけです。

「自力で修行を重ね、悟りをひらくのではなく、阿弥陀如来の本願(=他力)によってのみ極楽浄土に往生することができる」という考えは、平安末期から鎌倉時代にかけ、法然や親鸞の浄土教により急速に広まりました。

今日でも浄土宗や浄土真宗の念仏である「南無阿弥陀仏」は、「わたしは阿弥陀如来に帰依します(ですので阿弥陀如来にすべてお任せします)」という意味をもつ言葉なのです。

阿弥陀如来は、密教においては大日如来を中心とする五智如来のひとりとされるのに対し、浄土教においてはすべてを委ねる仏とされています。時代や宗派ととともに役割を異にするといってもよく、その違いは、仏像としての造形例に顕著に表れます。
阿弥陀曼荼羅 銀製【仏像の天竺堂 仏教美術 中】
【美心】375-08 阿弥陀如来(純金メッキ)!十二支のお守り本尊です。【美心生活 stmx (美容・健康・ダイエット・生活用品総合ショッピングサイト)】
64面ラウンドカットオニキス「梵字×般若心経彫」ネックレス【スカイショップ】
梵字ペンダントヘッド阿弥陀如来【仏像の天竺堂 仏教美術 中】
柘植香合仏 阿弥陀如来(戌・亥歳生まれの守り本尊)【Gallery369】

仏像の魅力
昔から人々は、仏像を拝することで心の安らぎを得てきました。
実際仏像は動かず、何も変らないはずなのに見ている人間のその時の心の状態に応じて、色々な顔に見えてきます。まるで、仏像は自分を映す鏡のようです。
その威厳に満ちた姿に触れることで、救いを得たいという願望が『心はかたちを求め かたちは心をすすめる』というように、多くの仏像を生み出しと言われています。

仏像の歴史
今から約2500年前、北インドのシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタによって説かれました。 彼は29歳で出家し、厳しい修行を経て、35歳で悟りを開き、仏陀(ぶっだ)となります。
日本や中国では、仏陀のことを釈尊(しゃくそん)、釈迦(しゃか)、釈迦牟尼(ちゃかむに)、などと呼ばれています。仏像とはこの釈尊を表した像のことをいいます。
しかし釈尊の存命中に仏像が造られることはありませんでした。釈尊がインドで没したのは、紀元前4世紀半ばというのが通説ですが、仏像はその死後すぐに造られたのではなく、その誕生は遥か先の紀元前1世紀半ば頃とされています。

仏像の誕生
人々の心に釈尊追慕の念が深まっていたことが、釈尊の理念化や超人化を進め、その存在を、仏像として表現するきっかけとなったのではないかという説があります。
仏像生誕の地は、ガンダーラ地方(現パキスタン北部)でした。同じ頃、マトゥラー(インド北部)でも仏像が造りはじめられました。前者はヘレニズムとローマ、インド文化の影響のもと均整のとれた美しいプロポーション、後者はインド彫刻の伝統のもとに明るくおおらかな、まったく異なった様式の釈尊像が仏像として刻み込まれました。
この2カ所で成立した2派の仏像様式は、以後微妙に融合したり洗練の度を高めたり、その表現に深みを加えていき、4〜5 世紀頃にインドの大部分を統治したグプタ朝の仏像とともに、各国に伝わり展開していく仏像様式の祖型となりました。 仏像が誕生してから、堰を切ったように造像が行われるようになります。
釈迦像のほか菩薩などの諸尊も造られるようになり、仏教に仏像という偶像を崇拝することが定着していきました。