開運・厄除け あなたの守護仏を十二支から導きます 〜 大日如来 〜

千手観音菩薩
虚空蔵菩薩
文殊菩薩
普賢菩薩
勢至菩薩
大日如来
不動明王
阿弥陀如来
価値有り一点もの高額仏像

如来(悟り済)
仏で一番偉い種類で、悟りを開いた者。出家後の釈迦がモデル。阿弥陀如来、薬師如来など。
菩薩(修行中)
悟りを開ける地位ではあるが、衆性救うため、あえて一段位を下げている仏。出家前の王子時代の釈迦がモデル。観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩(お地蔵様)など。
明王(民衆を守る)
修行する者を煩悩から守る如来の使者の仏。恐ろしい外貌と激しい忿怒の相をしている。不動明王など。
※真言宗にだけ登場
天部(仏界を守る)
仏界を守る神々。四天王、阿修羅など。
※元ヒンズー教の神々
トップ > 大日如来

大日如来 
だいにちにょらい / 申・未の本尊

干支:申年・未年
読み:だいにちにょらい
梵名:マハーヴァイローチャナ
真言:オン アビラウンケン

別名を摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)とも、遍照如来(へんじょうにょらい)とも言う。密教においてすべての中心とされる仏です。

密教においては、大日如来こそが宇宙そのものとされ、すべては大日如来から出現するとされたほどの尊格をもちます。その光明が宇宙全体を遍く(あまねく)照らすことから、大日如来または遍照如来と漢訳されました。

密教は、遣唐使として海を渡った僧によって日本に伝えられ、空海の真言密教、最澄の弟子である円仁、円珍が大成した天台密教に大きく分類されます。この両派において、「大日如来そのものが仏法」という教えが広まり、大日如来が各地で信仰されることになりました。

この密教の世界観を視覚的にあらわしたものが「曼陀羅」で、「本質をもつもの」という意味があります。

曼荼羅は古代インドにその起源を持ち、さまざまな形態が見られますが、最も有名なのは「両界曼荼羅」です。

この曼荼羅は、「金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)」と「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)」という2種類から成り立っています。

金剛界曼荼羅は「金剛頂経」、胎蔵界曼荼羅は「大日経」という密教の経典の教えに基づいて描かれており、いずれも中心には、密教の中心的尊格である大日如来の姿が描かれています。

なお、金剛頂経と大日経は、同じ大日如来を第一の仏としながらも、別々の場所で別々に成立した経典で、この2つの経の教えを統合し、両界曼荼羅を発案したのは、入唐時の空海の師である恵果(えか)であるといわれています。

空海は帰国時にこの両界曼荼羅を持ち帰ったといわれており、それを模写したものが京都・神護寺(じんごじ)所蔵両界曼荼羅(国宝・通称を高雄曼荼羅とも)であるとされます。
極小仏像(小)干支の守り本尊/大日如来【仏像の天竺堂 仏教美術 中】
【美心】375-06 大日如来(純金メッキ)!十二支のお守り本尊です。【美心生活 stmx (美容・健康・ダイエット・生活用品総合ショッピングサイト)】
64面ラウンドカットオニキス「梵字×般若心経彫」ネックレス【スカイショップ】
仏画ポスター 大日如来【仏像の天竺堂 仏教美術 中】
大日如来【仏像の天竺堂 仏教美術 中】

仏像の魅力
昔から人々は、仏像を拝することで心の安らぎを得てきました。
実際仏像は動かず、何も変らないはずなのに見ている人間のその時の心の状態に応じて、色々な顔に見えてきます。まるで、仏像は自分を映す鏡のようです。
その威厳に満ちた姿に触れることで、救いを得たいという願望が『心はかたちを求め かたちは心をすすめる』というように、多くの仏像を生み出しと言われています。

仏像の歴史
今から約2500年前、北インドのシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタによって説かれました。 彼は29歳で出家し、厳しい修行を経て、35歳で悟りを開き、仏陀(ぶっだ)となります。
日本や中国では、仏陀のことを釈尊(しゃくそん)、釈迦(しゃか)、釈迦牟尼(ちゃかむに)、などと呼ばれています。仏像とはこの釈尊を表した像のことをいいます。
しかし釈尊の存命中に仏像が造られることはありませんでした。釈尊がインドで没したのは、紀元前4世紀半ばというのが通説ですが、仏像はその死後すぐに造られたのではなく、その誕生は遥か先の紀元前1世紀半ば頃とされています。

仏像の誕生
人々の心に釈尊追慕の念が深まっていたことが、釈尊の理念化や超人化を進め、その存在を、仏像として表現するきっかけとなったのではないかという説があります。
仏像生誕の地は、ガンダーラ地方(現パキスタン北部)でした。同じ頃、マトゥラー(インド北部)でも仏像が造りはじめられました。前者はヘレニズムとローマ、インド文化の影響のもと均整のとれた美しいプロポーション、後者はインド彫刻の伝統のもとに明るくおおらかな、まったく異なった様式の釈尊像が仏像として刻み込まれました。
この2カ所で成立した2派の仏像様式は、以後微妙に融合したり洗練の度を高めたり、その表現に深みを加えていき、4〜5 世紀頃にインドの大部分を統治したグプタ朝の仏像とともに、各国に伝わり展開していく仏像様式の祖型となりました。 仏像が誕生してから、堰を切ったように造像が行われるようになります。
釈迦像のほか菩薩などの諸尊も造られるようになり、仏教に仏像という偶像を崇拝することが定着していきました。